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社名の由来シリーズも六回目となりました。今回はタイトルの通り「三菱鉛筆」です。
「三菱鉛筆」のことを、三菱商事や三菱重工、三菱電機などをはじめとする三菱グループの関連企業だと思っている人は多いのでないでしょうか。確かに同社が発売している鉛筆やシャープペンシルをよく見ると三菱グループに共通する菱形を三つ組み合わせたお馴染みのシンボルマークがついていますね。ところが三菱鉛筆は意外にも、三菱グループとは何のつながりがないのに、社名に「三菱」の名前を冠とする企業だったんです。
では、なぜ三菱グループと同一のシンボルマークがつけられているのでしょうか。話は、明治36年(1903年)までさかのぼります。
東京に「眞崎鉛筆製造所」という筆記具を専門に製造する会社がありました。創業者は眞崎仁六と言います。当時の鉛筆は大きく分けて「はさみ鉛筆」と「削り鉛筆」の2種類があり、「はさみ鉛筆」というのは、文字通り、棒状の本体に替芯を挟んで使用するもので、替芯さえあれば、1本あれば1年は本体が使えるというもの。一方、「削り鉛筆」は現在の鉛筆と同じで、本体の中心に鉛筆の芯が入っており、周りを削って使うものでした。
ある日、眞崎氏のもとにはさみ鉛筆を納入していた逓信省(現在の総務省・郵政事業庁ですね)から「はさみ鉛筆は芯が引っ込むことがあるので、削り鉛筆に代えて欲しい」とい連絡がありました。
かねてから削り鉛筆に進出することを計画していた眞崎氏は早速研究にとりかかり、完成した見本を持って逓信省を訪れました。これは評判が良くて、すぐに2万本の注文がきました。生まれて初めての一括大量注文であったとのことです。
ちなみに納入したのは、2B(局用1号)、HB(局用2号)、2H(局用3号)の3種類だったそうですが。
このことを記念して眞崎家の家紋である「ミツウロコ」をアレンジした商標を考案し、鉛筆に刻印しようと考えました。眞崎氏はスリーダイヤのマークを商標と決め、1月9日に商標出願し、2月27日に登録されました。
当時の指定商品は、各種鉛筆、石筆、ゴム筆、鉛筆ゴム、鉛筆軸、ペン、ペン軸でした。
この商標登録は、三菱財閥の三菱商事グループが各社の一番手として三菱マークを登録する時点よりも実に10年も先立っていたのです。
しかし、スリーダイヤのマークが人々の間に浸透し、「三菱鉛筆」と呼ばれるようになっても、あくまでも製品名にしかすぎず、社名は相変わらず「眞崎鉛筆」を名乗っていました。戦後、三菱各社が財閥解体された時には、スリーダイヤの「商標抹殺」寸前にまで追い込まれたこともあったと言います。
その後、昭和27年(1952年)現在の「三菱鉛筆株式会社」と社名を変更し現在に至っています。